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クラカタウ
ファイル:Landsat krakatau 18may92 cropped.jpg
衛星写真
標高 ラカタ峰 813m
所在地 インドネシアの旗 インドネシア ランプン州
位置 南緯6度6分27秒 東経105度25分3秒 / 南緯6.1075度 東経105.4175度 / -6.1075; 105.4175座標: 南緯6度6分27秒 東経105度25分3秒 / 南緯6.1075度 東経105.4175度 / -6.1075; 105.4175
山系 スマトラ島-ジャワ島
種類 成層火山
ファイル:Sunda strait map v3.png
ファイル:Indonesia, Sunda Straits.jpg

現在のアナク・クラカタウ

ファイル:Krakatoa 01.JPG

19世紀初頭のクラカタウ

クラカタウ(Krakatau)とは、インドネシアジャワ島スマトラ島の中間、スンダ海峡にある火山島の総称であり、ランプン州に属する。全体がウジュンクーロン国立公園の一部である。

名称[]

「クラカタウ(Krakatau)」と「クラカトア(Krakatoa)」の二種類の呼び名があるが、インドネシアでの名称はクラカタウが一般的である。

クラカトアの出所については1883年噴火したときに、イギリスのメディアが誤ってクラカトアとしたという説がある。

「クラカタウ」という名が残っている最古の記録は、1658年スンダ海峡を通過したオランダ人による物であるとされる。語源は諸説があり明らかになっていない。

クラカタウの歴史[]

およそ6万年前まで、この海域には「古クラカタウ」ともいうべき火山島があった。古クラカタウは標高2,000m近い成層火山であったが、大噴火によって消滅し、海中にカルデラを残した。

1883年以前のクラカタウはラカタ島、セルトゥン島、ラング島(現ラカタ・クチル島)の総称であった。セルトゥン島とラング島はこのカルデラの外輪山にあたる。またラカタ島はカルデラの南東縁から中央付近にかけて成長した3つの火山(ラカタ、ダナン、ペルボエワタン)からなっており、現在の倍以上の大きさがあった。最高峰は800mほどのラカタで、尖った山容が航海の目印となっていた。ペルボエワタンとラング島の間にはポーリッシュ・ハットと呼ばれる岩礁があった。

クラカタウは1883年以前の2千年間に少なくとも1回は比較的大きな噴火を起こしたらしい。それがいつであったのかは確定されていないが、535年とする説が有力である。それ以外の年にも噴火したという記録は多数残っているが、いずれも信憑性に乏しい。最も新しい記録は1680年である。人が住んでいたことはあったものの、1883年当時は無人島となっていた。

535年の大噴火[]

535年の大規模な噴火はインドネシアの文明に歴史的な断絶を引き起こし、世界各地に異常気象をもたらした。その痕跡は樹木の年輪や極地火山灰の堆積のような物的なものから歴史文書に至るまで広範囲に亘っている[1]

日本においても天候不順による飢饉の発生についての言及が見られ、(安閑二年)、同時期に朝鮮半島からの渡来人の流入、馬具の発達、中国から流入した仏教の興隆などが起きており、古代日本の国家形成に与えた影響は小さくはないとする見方もある[2]

1883年の大噴火[]

1883年5月20日、ラカタ島で水蒸気爆発を伴う噴火が始まり、同時に発生した地震は数年にわたって観測された。8月11日、同島の3つの火山が噴火した。そして8月27日月曜日バタヴィア時間午前10時02分(現地時間9時58分)に大噴火を起こした。噴火で発生した火砕流は海上40kmを越え、スマトラ島ランボン湾東部で人間を殺傷した。また、噴火により発生した津波が周辺の島を洗い流し、航海中の船を激しく揺さ振った。死者は36,417人に及び、2004年スマトラ島沖地震が起こるまではインド洋における最大の津波災害であった。

この噴火は海底ケーブルによって全世界に報道された、史上初の大規模災害である。

噴火の影響[]

噴煙の高さは38,000m(48,800m説有り)。爆発音は4,776km先(インド洋上のロドリゲス諸島)まで届き、人間が遠く離れた場所で発生した音を直接耳で聞いた最長距離記録となる。衝撃波は15日かけて地球を7周した。5,863km離れた東京で1.45hPa気圧上昇が記録されている。津波は、日本では鹿児島市甲突川にも押し寄せ、17,000km離れたフランスビスケー湾の検潮儀にも記録された。成層圏にまで達した噴煙の影響で、北半球全体の平均気温が0.5~0.8℃降下し、その後数年にわたって異様な色の夕焼けが観測された。画家エドヴァルド・ムンクの代表作“叫び”は、この夕焼けがヒントになっていると言われている。アメリカの児童文学作家W・P・デュボアはこの噴火を題材に長編小説『二十一の気球』を書いた。日本では1884年の歴史的な大凶作をこの噴火と関連づける向きもある[要出典]

噴火後のクラカタウ[]

当日16時に1,850km西南西にあるインド洋上ココス諸島で降灰を記録。火山灰の降下域は70万平方キロに及ぶ。噴出量は25立方キロ、火山爆発指数は6.5であり、記録が残っている噴火では歴史上5位にあたる(1位は1815年タンボラ山で、150立方km。地質学的にはスマトラのトバ、九州の姶良(あいら)、阿蘇(あそ)、阿多(あた)、加久藤(かくとう)カルデラなどの方がはるかに多量)。

噴火後、三島のうちラカタ島は最南端のラカタ山を残して北側の大半が吹き飛び、ポーリッシュ・ハットもやはり消滅、逆にセルトゥン島、ラング島は噴出物により面積が拡大した。更に北東側の海にも噴出物が堆積して二つの新しい島(スティヤーズ島とカーマイヤー島)ができたが、まもなく侵食されて単なる浅瀬になった。

現在のクラカタウ[]

1927年、ラカタ島北部(旧ダナン付近)の海中で噴火が始まり、火山島アナク・クラカタウ(クラカタウの息子)が誕生した。現在も噴火活動を続けており、21世紀初頭には海抜400m以上になっている。

参考サイト[]

  1. 『西暦535年の大噴火―人類滅亡の危機をどう切り抜けたか』文藝春秋 ISBN 9784163558707
  2. 仏教はなぜ日本で普及したのか 永井俊哉ドットコム

関連書物[]

  • サイモン・ウィンチェスター『クラカトアの大噴火―世界の歴史を動かした火山』(早川書房)- 噴火前後の状況を、地質学・歴史など、多角的な面から描く。
  • 田川日出夫『生物の消えた島』(福音館書店)- 噴火後、島に再び動植物が生息するようになるまでを順を追って描いた科学絵本。
  • デヴィッド・キーズ『西暦535年の大噴火―人類滅亡の危機をどう切り抜けたか』 ISBN 978-4163558707


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