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サンフランシスコ市庁舎 1906年4月20日

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大地震のもたらした被害

1906年サンフランシスコ地震(1906ねんサンフランシスコじしん、San Francisco earthquake of 1906)とは1906年4月18日の早朝にアメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ周辺を襲った、およそマグニチュード7.8[1]と見込まれる大地震である。震源はサンフランシスコの近くを通るサンアンドレアス断層にある。地震及びその後の火災は過去のアメリカ合衆国の歴史の中で主要都市で起こった最も被害の大きい自然災害の1つとなった(参照:ハリケーン・ガルベストン及びハリケーン・カトリーナ)。

概要[]

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地震で被害を受けた木造建築物

地震波がサンフランシスコに到達したのは4月18日の5時12分(ほぼ00秒)である。天文学者ジョージ・デイヴィッドソンの記録によると、激しい震動が約1分間続き、いったん弱まったが再び強い震動が起こり、最初の震動が始まってから2分30秒ほどで収まったという。

当時、全世界で96基の地震計があり、その大半が地震動を記録している。それらの記録をもとにブルース・ボールトが1968年に発表した論文では、サンフランシスコの南西、デイリーシティのマッセルロック沖、約2kmの海域を震央としているが、地震発生当時はサンフランシスコから北西に60kmほど離れたオレマが震央だと考えられていた。オレマは地震によってサンアンドレアス断層がもっとも大きく動いた(約6.4m)場所である。

被害はサンアンドレアス断層の北部セグメントに沿った数百kmの細長い地域に集中したが、震動はオレゴン州からロサンゼルス、及び内陸深いネバダ州中央部まで広範囲で感じられた。

サンフランシスコ市内では充分な耐震強度を備えていなかった建造物の多くが到壊し、少なくとも50ヶ所で火の手が上がった。水道管が破損していたため満足な消火活動を行えず、火災は3日間燃え続けた。陸軍は残っている建造物をダイナマイトで爆破して防火帯を作った。

当時のサンフランシスコの人口約40万人に対し、死者は公式発表によれば約500人、後年の研究では約3千人とされており、また22万5千人が家を失った。なお、ユージン・シュミッツ市長は市内に出動する兵士と警察官に対し、略奪者はその場で射殺せよと命じた。これは厳密には違法だが、市長は責任を問われなかった(もっとも、実際に射殺された人はほとんどいなかったようである)。

被害総額は約5億ドル(21世紀初頭の消費者物価で100億ドル相当)に上った。多くの保険会社は地震で倒壊した建造物には火災保険が適用されないという条項を盾にして保険金の支払いを渋り、市当局や産業界は逆に被害のほとんどが地震ではなく火災によるもの(つまり天災ではなく人災)だとすることによって投資の落ち込みを避けようとしたが、西海岸の中心的都市の座がサンフランシスコからロサンゼルスに移ることは止められなかった。

次の地震[]

サンアンドレアス断層の北部セグメントでは、1906年以降大きな地震は起こっていない(1989年のロマ・プリータ地震は別の原因で起きた可能性が高い)。2003年にアメリカ合衆国地質調査所が出した予測では、2032年までにサンフランシスコ・ベイエリアでサンアンドレアス断層を震源とするMw6.7以上の地震が発生する確率は62%だという。

参考書籍[]

  • 『世界の果てが砕け散る』(著:サイモン・ウィンチェスター、訳:柴田裕之、発行:早川書房ISBN 4152087854

関連項目[]

外部リンク[]

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