天正大地震(てんしょうおおじしん)は、天正13年11月29日(1586年1月18日)に発生した大地震である。
概要[]
この地震は天正地震、白川地震とも呼ばれ、震源地は現在の岐阜県北西部、マグニチュードは7.9 - 8.1と推定されている。
当時、三河にいた松平家忠の日記によると、地震は亥刻に発生し翌日の丑刻にも大規模な余震が発生。その後も余震は続き、翌月23日まで一日を除いて地震があったことが記載されている。
近畿から東海、北陸にかけての広い範囲、現在の愛知県、岐阜県、富山県、滋賀県、京都府、奈良県に相当する地域に跨って甚大な被害を及ぼしたと伝えられる。そのことなどからこの地震は複数の断層がほぼ同時に動いたものと推定されている。
琵琶湖では、下坂浜千軒遺跡となる現長浜市の集落が液状化現象により、水没。[1]
越中国では木舟城が地震で倒壊、城主前田秀継夫妻など多数が死亡した。前田秀継は前田利春の子で前田利家の弟である。
また、飛騨国帰雲城は帰雲山の山崩れによって埋没、城主内ヶ島氏理とその一族は全員死亡し、内ヶ島氏は滅亡した。また、周辺の集落数百戸も同時に埋没の被害に遭い、多くの犠牲者を出すこととなった。
その他、美濃国では大垣城が全壊焼失、近江国では長浜城が全壊し城主山内一豊の息女与祢姫が死亡するなど、近畿、東海、北陸にかけての各地で甚大な被害が出た。
関連項目[]
- 帰雲城
- 功名が辻
脚注[]
- ↑ 朝日新聞2010年6月5日
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