♨宇奈月温泉 | |
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ファイル:Toyama Chihō Railway Unazukionsen Station-Building.jpg 宇奈月温泉駅前 | |
温泉情報 | |
所在地 | 富山県黒部市 |
交通アクセス | 鉄道:富山地方鉄道本線、宇奈月温泉駅 |
泉質 | 単純温泉 |
泉温 | 98 [[セルシウス度|テンプレート:℃]] |
外部リンク | 黒部・宇奈月温泉観光協会 |
宇奈月温泉(うなづきおんせん)は、富山県黒部市(旧下新川郡宇奈月町、旧国越中国)にある温泉。黒部川の渓谷沿いなどに旅館や保養所が立ち並ぶ。峡谷美を愛でる黒部峡谷鉄道のトロッコ観光の拠点でもある。
全国的にも珍しい7kmにも及ぶ引湯管を使った引湯である。
概要[]
ホテルや旅館、商店や土産物店が多数立ち並んでいる。富山県内の温泉地では最大規模。
富山地方鉄道の宇奈月温泉駅前に温泉水を利用した噴水がある。
宇奈月温泉駅から東南に進むと黒部峡谷鉄道宇奈月駅があり、黒部峡谷を訪ねる多くの観光客が利用する。また、反対方向に向かって線路を渡り、商店街を抜けた所にある宇奈月公園には、かつてこの地を訪れたことがある昭和天皇の御製碑や、与謝野鉄幹、与謝野晶子、宮柊二(みやしゅうじ)らの歌碑がある。
温泉街にはそのほか『おもかげ』『いっぷく』と名付けられた足湯のほか、黒部市宇奈月国際会館「セレネ」、黒部川電気記念館、宇奈月神社などがある。また、右岸道路から峡谷を進むと宇奈月ダム及び資料館「大夢来館(だむこんかん)」が見学でき、さらに橋を渡って宇奈月湖を眺め、尾の沼体験交流施設 とちの湯を利用する事ができる。
泉質[]
- 単純温泉
- 源泉の色:無色透明
源泉はすべて黒部川上流にある黒薙温泉からの引湯である。源泉段階で92~98度と非常に高温であり、湯量が豊富である。
温泉街[]
ホテル・旅館[]
- 宇奈月グランドホテル
- 宇奈月国際ホテル
- 宇奈月ニューオータニホテル
- 延対寺荘(1923年に高岡の延対寺荘の別館として創立)
- 延楽
- グリーンホテル喜泉(喜泉閣が前身)
- ホテル黒部
- ホテル桃源
- サン柳亭
- フィール宇奈月[1]
- さとのや烏帽子山荘[2]
民宿[]
- 温泉民宿宇えだ
- 温泉民宿黒流荘
- 温泉民宿三日月
- プチホテルチャーリーズクラブ
保養所[]
- NTT健康保険組合宇奈月保養所 越山荘
- 健康保険保養所 ホールサムインうなづき
- 富山県教職員厚生会宇奈月保養所 ホテル渓仙
- 公営保養センター 新川荘
研修所[]
- 宇奈月研修センター(外国人研修生集合研修所)[3]
その他の公共施設[]
- 観光会館
- 温泉会館
- 旅館組合
- 足湯『おもかげ』
- 足湯『いっぷく』
- 宇奈月公園
- 桃原診療所
- 宇奈月国際会館セレネ
- 黒部川電気記念館
- 宇奈月神社
- 尾の沼体験交流施設 とちの湯
- 宇奈月ダム資料館「大夢来館(だむこんかん)」
- など
かつてあった旅館、民宿、施設など[]
- 富山館
- 福井館
- 河内屋
- 蝶泉閣
- 地方職員共済組合宇奈月保養所 黒部荘
- など
平和観音像[]
- 温泉街を見渡す宇奈月温泉スキー場の上部に佐々木大樹が原型を作成した平和観音像がある。
宇奈月温泉スキー場[]
- 宇奈月温泉スキー場の項目を参照されたい。
歴史[]
愛本温泉[]
- 1915年(大正4年)、富山市の高沢藤吉によって黒薙からの引湯樋設置工事が始められた。
- 1917年(大正6年)、内山地区から現在の温泉街の方向にある黒部川左岸の内山地内「荷上」の地に「愛本温泉」が営業を開始した。愛本地区でないのになぜ愛本としたのか不明である。[4]
- 1921年(大正10年)、台風災害により一部倒壊、死傷者も出て閉湯することになった。
- 1922年(大正11年)、建物と温泉の権利は東洋アルミナム㈱の設立した黒部温泉会社に売却された。これが現在の宇奈月温泉の礎である。
東洋アルミナム株式会社[]
- 1917年(大正6年)7月高峰譲吉や三共製薬・塩原又策等が日本最初のアルミ精錬所を計画し、黒部川で電源開発を進めるため、東大土木工学科出身の逓信省電気局技師・山田胖(ゆたか)[5]を引き抜き、創立計画に当たらせた。彼は降雪期である12月に、桃原(現在の宇奈月)から黒薙まで調査に赴いた。
- 1919年(大正8年)12月、現在の三共製薬(株)本社内に東洋アルミナム株式会社を正式に設立する。代表取締役は高峰譲吉と塩原又策である。資本金1000万円。
- 1921年(大正10年)、東洋アルミナムは資材運搬と湯治客も利用できる一般営業を目的とする黒部鉄道(株)を設立し建設工事に着手した。これは、桃原(うなづき平、うなづき台とも)を温泉地として開発し、温泉客の鉄道利用で鉄道の建設・維持費用を得、電源開発工事作業員の福利厚生施設ともするという一石三鳥を狙った計画であった。
黒部温泉会社[]
- 1922年(大正11年)東洋アルミナム(株)により、黒部温泉会社が設立された。そして、旧愛本温泉の権利と建物を買い取った。また、黒薙等の温泉の財産と権利を買収し、桃原の土地買収を始めた。
- 山田胖(ゆたか)の著「宇奈月温泉由来」によれば、開発調査中の山田が、沸かし湯となっていた愛本温泉に入浴中に、他の客が源泉で水を加えれば(流速が増し)温度が下がらないはずだというのに対して、樋(とい)ではなくパイプを使い圧力をかけて流速を増し、到達時間を短縮すれば引湯の温度が下がらないと自ら述べたという。[6]
- 1922年(大正11年)7月22日の高峰譲吉の死の後、東洋アルミナムによる黒部川での事業展開は縮小し、黒部温泉会社による桃原の土地買収は計画の半分の2万5000坪で終結された。黒部温泉会社(東洋アルミナム)は、県内の旅館や料亭などに自社が購入した土地を斡旋し温泉街を作ろうとしはじめた。
- 同じ年、東洋アルミナムはアルミ製造をあきらめ、目的を電力開発のみとし、黒部水力株式会社と改称される。三共の塩原又策は、東洋アルミナムの全株式を日本電力(株)に譲渡、東洋アルミナムの社長には日本電力の山岡順太郎[7]が就任した。
- 宇奈月の地名は、当時の日本電力(現関西電力の前身)社長・山岡順太郎が名付け親とされる。
- 1923年(大正12年)、黒部鉄道(株)により資材運搬を主な目的として旅客も乗せる、当時の三日市町の三日市駅(現在廃止、現JR黒部駅に隣接していた。)[8]と宇奈月を結ぶ「黒部鉄道」が開通した。これにより、温泉に進出しようとする者が出始めた。
- 1923年(大正12年)11月末、山田胖(ゆたか)は黒薙温泉からの引湯管を設置した。この引湯管は旧愛本温泉の引湯樋に替わる物で愛本温泉の引湯ルートに沿って設置されたものであった。松材をくりぬいたパイプを使い温泉が自噴する圧力を保って流れが速く、黒薙の泉源から2時間ほどで湯が届いた。このため、冬でも55℃の温度が確保されることとなった。
- 1924年(大正13年)、黒部温泉会社は旧愛本温泉の建物を移築し、宇奈月館(現宇奈月グランドホテルの前身)として経営した。それとともに、旅館を経営しようとする者に自社が購入した土地と温泉を斡旋する際に3万円を融資した。この後、延対寺別館、宇奈月富山館、桃原館などが開かれた。その後、1927年(昭和2年)には河内屋なども進出し、十数件の旅館、みやげ物店などもできて温泉街の体裁が整っていく。
- 1925年(大正14年)、日本電力株式会社が黒部水力株式会社を併合した。
- 1928年(昭和3年)12月5日、柳川原発電所[9]の完成をもって、山田胖は黒部を去り奥多摩工業株式会社の社長に転じた。と「黒部奥山と扇状地の歴史」にある。[10]山田が調査を開始してから11年目であった。
戦後[]
- 1946年(昭和21年)5月21日、共同浴場の近くにあった土木作業場より出火し、川をふさいだため大火となって、温泉街のほとんどを焼失した。当時の日本発送電や内山村の援助により復興した。
- 1953年(昭和28年)11月、関西電力黒部専用軌道の内、宇奈月~欅平間は地方鉄道法による営業の免許を受け、トロッコ電車の一般観光客利用が行われはじめた。これにより客足が伸びたことで、温泉街も発展した。
- 1956年(昭和31年)7月、関西電力黒部ダムと黒部川第四発電所の建設が始まる。
- 1956年(昭和31年)、宇奈月温泉スキー場がオープンした。
- 1963年(昭和38年)6月9日、山田胖は宇奈月温泉を再訪し、「40年ぶりに来た。宇奈月の発展はめざましい。私の働いていたころがしのばれる。」と語ったといい、宇奈月を去ってから長く訪れなかったことがわかる。[11]
- 1964年(昭和39年)の黒四発電所完成後も開発の関連工事は続き、大手ゼネコンや電気設備納入のメーカーといった工事関係者と黒部峡谷を訪ねる観光客で温泉街は繁栄を極めた。この当時、芸者置屋が5 - 6件あった。
- 1971年(昭和46年)7月、黒部峡谷鉄道株式会社が発足する。
- 1985年(昭和60年)7月、音沢発電所の運用開始により黒部川の電源開発がほぼ終了する。
- 1993年(平成5年)、温泉街の新たな集客力として国際会議場、宇奈月国際会館「セレネ」が完成する。
- 2001年(平成13年)、多目的ダムである宇奈月ダムの完成とともに付随設備「とちの湯」(栃の実に由来)なども完成した。これにより、宇奈月温泉の祖である山田胖が作った柳川原発電所はダム湖に沈み、新柳川原発電所が新たに作られた。
- 2006年(平成18年)3月の平成の大合併による新黒部市誕生に併せて、温泉街の地名が「宇奈月温泉」に変更された。宇奈月町時代は、「下新川郡 宇奈月町 ○○○○番」となっていて、大字名としての宇奈月温泉はなかった。
- 2009年(平成21年)宇奈月温泉スキー場は2009年度から黒部市に代わり、民間組織「宇奈月大原台」が管理運営することとなった。
アクセス[]
- 富山地方鉄道本線、宇奈月温泉駅。
- 北陸自動車道黒部インターチェンジより道なりに南へ向かう。
- 西日本旅客鉄道北陸本線黒部駅より道なりに南へ向かう。
宇奈月温泉事件[]
宇奈月温泉は、法律学(民法判例)上、極めて重要な事件である宇奈月温泉事件の舞台となった。 前述の源泉から温泉街までの引湯管の敷設地が一部未買収であったことが発端となった訴訟である。 この判決では大審院によって権利濫用(民法1条)の解釈が示され、原告の主張が権利濫用の法理により排斥された。民法判例百選の最初に登載されている事件で、法学部などで民法を学ぶ者が最初期に目にする判例の1つである。
その他[]
「うなずきマーチ」は、後述の「うなずきトリオ」の3人と作詞・作曲した大滝詠一が、宇奈月温泉を訪れ、滞在していた時に構想が浮かんだとされる。この歌は、1980年代にフジテレビ系列で放送された、当時の超人気バラエティ番組『オレたちひょうきん族』の「ひょうきんベストテン」コーナーから生まれた。同番組のレギュラー出演者の中の3人(ビートきよし、松本竜介、島田洋八)で構成されたユニット「うなずきトリオ」が歌った。同番組の企画で、「うなずきトリオ」の3人が実際に宇奈月温泉で歌ったこともある。
参考文献・出典[]
- 奥山淳爾 「黒部奥山と扇状地の歴史」2000年 桂 書房
- 「語りつぎたい黒部人 ~黒部に足あとを残した人々~」 2008年 黒部市教育委員編
- 山田胖 「宇奈月温泉由来」 昭和31年/『黒部峡谷誌料』復刻 新興出版社平成2年 収録)
- 関西電力PR誌 やまびこ No.88
- 黒部川電気記念館、パンフレット
関連項目[]
高峰譲吉 塩原又策 山岡順太郎 関西電力 黒部峡谷鉄道 黒部鉄道 道の駅うなづき
脚注[]
- ↑ 地方職員共済組合宇奈月保養所・黒部荘だった建物の転用。
- ↑ 荷上地区にある旅館。温泉ではない。旧愛本温泉のあった場所に近い。
- ↑ 旅館・蝶泉閣だった建物が、研修センターとなる。
- ↑ 名勝愛本橋にあやかったものか。
- ↑ 1886年(明治19年)福岡県生まれ
- ↑ 他の温泉客の話のように水を加えるのではなく、源泉がそのまま送られる。
- ↑ 高峰譲吉と同じく、加賀藩出身である。
- ↑ 三日市という駅名があったため、数キロ離れた現在の富山地方鉄道黒部駅は町の中心地であったが別の駅名がついていた。
- ↑ 合計最大出力5万700キロワットは当時日本最大出力。
- ↑ 奥多摩工業株式会社沿革では同社が 1937年(昭和12年)6月設立とある。「多摩川誌」によれば「奥多摩工業は、1927年に浅野セメントが買収していた日原の山林を継ぎ、10カ年以内に鉄道を建設し石灰石の採掘を行おうとして、日本鋼管と鶴見造船が出資して奥多摩電気鉄道株式会社として設立されたものである。」とある。「語りつぎたい黒部人」には協力者として山田洋夫氏の名が見える。
- ↑ 「語りつぎたい黒部人」より
外部リンク[]
- 黒部峡谷 宇奈月温泉 公式サイト(宇奈月温泉旅館協同組合)
- 黒部・宇奈月温泉 公式観光サイト(黒部・宇奈月温泉観光協会)
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