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宮城県北部地震(みやぎけんほくぶじしん)は、宮城県北部を震源とする地震。特に、そのうち地殻内の断層を震源とする直下型地震を表すことが多い。

1900年[]

テンプレート:節スタブ

1962年[]

1962年4月30日11時26分24秒、宮城県北部で発生した地震。震源は、宮城県登米郡(現:登米市迫町付近(北緯38度44.4分、東経141度8.3分)で、震源の深さは19km、地震の規模を示すM 6.5。

被害は田尻町、南方村(現:登米市南方町)が中心で、死者3人、負傷者272人、建物全壊340棟、半壊1114棟。瀬峰駅の南で貨車が脱線転覆し、古川市で江合橋の橋桁がずれるなど、鉄道や道路の被害が目立った。

1996年[]

1996年8月11日の未明から早朝にかけて、栗駒山の南麓付近を震源に最大震度5の地震が3回発生。最も被害を受けたのは宮城県の鳴子町(現:大崎市鬼首地区であった。負傷者16人、損壊した家屋は200棟を超えた。

なお気象庁の発表では、県境を越えた秋田県内陸南部が震源としている。2008年に発生した岩手・宮城内陸地震の震源域の西側にあたる。

2003年[]

2003年7月26日、宮城県北部(鳴瀬町矢本町河南町周辺)を震源として連続的に発生した地震で、最大震度6弱を超える地震が1日の内に3回発生した。『宮城県連続地震』とも言われているが、気象庁では特に命名はしていない(『顕著な被害が発生した場合』と規定があるためだが、根拠があいまいなのが実情)。

発生時刻 最大震度 Mj 深度 備考
26日午前0時13分 6弱 5.5 12km 前震
26日午前7時13分 6強 6.2 12km 本震
26日午前10時22分 5弱 4.8 13km
26日午後4時56分 6弱 5.3 12km 最大余震
28日午前4時08分 5弱 5.0 14km

この地震の特徴は、本震と思われた強い前震の後に、さらに強い揺れの本震が発生したことである。

被害は、負傷者649人、建物全壊489棟、半壊1231棟(仙台管区気象台資料より)。これらの被害の多くは本震によるもので、死者が出なかったのは前震で警戒感が高まっていたからだとも推測されている。

震源は「旭山撓曲」とよばれる推定活断層の直下にあり、この断層が活動したのではないかと地表踏査が行われたが、地表の震源断層は確認されなかった。旭山撓曲は、文部科学省が実施している活断層調査の調査対象(98断層帯)には含まれていなかった。しかしその後の調査の結果、別の活断層が旭山撓曲の東側で発見され「須江断層」と命名された。この断層は現在より2000万年以上前に形成された断層であり、それが再活動したと考えられている。須江断層を地下へ延長すると、この地震の震源に重なることから、この断層が震源である可能性が高い。

なお、2005年4月の自治体合併で鳴瀬町と矢本町は東松島市となり、河南町は石巻市の一部となったほか、2006年の地域名称変更により、現在の地域名称では震源地は宮城県中部である。

各地の震度 (0時13分の地震)[]

震度 観測地点
震度6弱 宮城県:矢本町鳴瀬町
震度5強 宮城県:鹿島台町宮城南郷町
震度5弱 宮城県:石巻市大郷町宮城松山町涌谷町宮城田尻町宮城河南町
震度4 岩手県室根村

宮城県:古川市大衡村宮城加美町色麻町三本木町小牛田町高清水町一迫町瀬峰町金成町志波姫町迫町中田町米山町宮城河北町桃生町志津川町仙台泉区名取市亘理町宮城松島町七ヶ浜町利府町

各地の震度 (7時13分の地震)[]

震度 観測地点
震度6強 宮城県:宮城南郷町矢本町 鳴瀬町
震度6弱 宮城県:鹿島台町涌谷町小牛田町宮城河南町桃生町
震度5強 宮城県:石巻市古川市宮城松山町宮城田尻町米山町
震度5弱 宮城県:大郷町三本木町高清水町一迫町瀬峰町金成町志波姫町迫町中田町宮城河北町仙台泉区
震度4 岩手県大槌町普代村野田村陸前高田市盛岡市二戸市一関市矢巾町岩手東和町前沢町岩手胆沢町衣川村花泉町平泉町藤沢町千厩町室根村

宮城県:気仙沼市富谷町大衡村宮城加美町色麻町岩出山町若柳町栗駒町鴬沢町花山村登米町女川町志津川町仙台青葉区仙台宮城野区仙台若林区名取市多賀城市大河原町宮城川崎町亘理町宮城松島町利府町

秋田県西仙北町

山形県新庄市最上町山形中山町

福島県いわき市新地町

 

各地の震度 (16時56分の地震)[]

震度 観測地点
震度6弱 宮城県:宮城河南町
震度5強 宮城県:涌谷町、宮城南郷町
震度5弱 宮城県:石巻市大郷町宮城松山町涌谷町宮城田尻町宮城河南町
震度4 宮城県:古川市、宮城松山町、宮城田尻町、小牛田町、一迫町、迫町、中田町、米山町、宮城河北町、矢本町、鳴瀬町

 

2003年宮城県北部地震の影響[]

翌7月27日(日)。航空自衛隊松島基地航空祭が予定されていたが中止となった。 地震の影響で基地内の一部が損傷し、松島基地内に災害対策本部が設けられ、航空祭どころではなくなった。

航空祭開催予定日の朝、航空祭が中止になった事を知らずに多くの人が基地を訪れてしまい、急遽基地正面門前や最寄り駅に隊員を派遣して、「航空祭は中止になりました」との呼びかけや対応を行った。

関連項目[]

外部リンク[]

テンプレート:日本近代地震