東海・南海・東南海連動型地震(とうかい・なんかい・とうなんかいれんどうがたじしん)とは、東海地震、南海地震、東南海地震の3つの地震が同時発生した場合を想定した超巨大地震のこと。本項では、単一の震源で同時刻に発生するものだけではなく、3つの地震が起こった時間が非常に近い(同日中~数年以内)の場合についても記述する。
概要[]
地質調査や文献資料から、東海地震、南海地震、東南海地震はそれぞれは約90年~150年(中世以前の発生記録では200年以上)の間隔で発生していることが分かっており、今後も同じような発生パターンをとると推測されている。いずれもマグニチュードが8に達するような巨大地震で、揺れや津波により甚大な被害を出してきた地震である。
これら3つの地震は、地下のプレート境界の構造が原因となって、それぞれ独立した震源域を持っており、別々に発生したり、数年~数時間の間隔で近接して発生したり、あるいは同時に発生したりしている。
過去、江戸時代以前まで歴史を遡ると東海地震・東南海地震・南海地震は同時に発生したことが確認されており、揺れと巨大津波により甚大な被害を受けている。文献によれば1707年の宝永地震(マグニチュード8.6)が確認されている。これ以前については、1498年以前の東海地震の発生記録が無いなど地震の記録が乏しいことや、信憑性や確実性に疑問が残る文献もあることなどから詳しく分かっておらず、連動型が発生していた可能性もあるとされる。
この3つの地震が一挙に起きた場合、また安政地震のように短い間隔で起きた場合は、太平洋ベルト全域に地震動による被害が及び、地域相互の救援・支援は実質不可能となると見られており、早急に地方自治体は連動型地震を視野に入れた防災対策を講じる必要があるとされている。2010年の防災の日には初めて3地震の連動発生を想定した訓練が実施されている[1]。
今後発生が予測されている連動型地震のうち最大のものはマグニチュード8.7とされる。破壊領域は長さ700km程度[2] 、津波も最大で20mを超えるとされている。
東京大学地震研究所地球ダイナミクス部門の瀬野徹三教授は、3地震の現在の固有地震の分類を変える必要を挙げ、南海トラフの東端の震源域(東南海の一部と東海)と連動する「安政型」と、その震源域と連動しない「宝永型」に分類することができるという説を唱えている[3]。
過去の例[]
地震の年表も参照。3地震が同時に起こったのが確実なものは太字で示した。
- 684年 白鳳地震:11月29日にM8.0~8.3の白鳳南海地震が発生。同時期に東海地震と東南海地震が発生したと推定されている。山崩れ、家屋、社寺の倒壊多数。津波の襲来後、土佐で船が多数沈没、田畑約12平方キロメートルが沈下し海となったと記録されている。
- 887年 仁和地震:8月26日にM8.0~8.3の仁和南海地震が発生。同時期に東海地震と東南海地震が発生したと地質調査により推定されている。京都で民家、官舎の倒壊による圧死者多数。特に摂津での被害が大きかった。
- 950~1000年ごろ、東海、東南海、南海地震のいずれかまたは複数が発生したと推定されている。
- 1096年~1099年 永長・康和地震:1096年1月24日にM 8.0~8.5の永長東海地震が発生。皇居の大極殿に被害があり、東大寺の巨鐘が落下、近江の勢田橋が落ちた。津波により駿河で民家、社寺400余が流失。3年後の同日にM8.0~8.5の康和南海地震が発生。
- 1200年ごろ、東海、東南海、南海地震のいずれかまたは複数が発生したと推定されている。
- 1361年 正平地震:8月3日にM8.0~8.5の正平南海地震が発生。摂津四天王寺の金堂転倒し、圧死5。その他、諸寺諸堂に被害が多かった。津波で摂津・阿波・土佐に被害、特に阿波の雪(由岐)湊で流失1700戸、流死60余。東海地震の発生は不明。
- 1498年9月11日 明応地震(東海・東南海地震):M8.2~8.4。伊勢や駿河など広い地域に津波、死者3~4万人。その2ヶ月前の6月30日に九州から東海にかけて地震被害の記録があるが、地質調査により南海地震ではないかと推定されている。
- 1605年2月3日 慶長地震:東海・東南海地震と南海地震が同時に発生したとみられるM7.9~8.0の地震。他の連動型地震と違い、津波地震であったと推定されている。地震動による被害は少なかったが太平洋岸で津波発生、死者1~2万人。
- 1707年10月28日 宝永地震:東海・東南海地震と南海地震が同時に発生したM8.6(日本史上最大とされている)の地震。この地震の49日後に富士山が噴火し宝永山(火口)ができる(宝永大噴火)。死者2万人余、倒壊家屋6万戸余。土佐を中心に大津波が襲った。
- 1854年12月23日 安政地震:安政東海地震(東南海を含む)が発生し、32時間後に安政南海地震が発生した。ともにM8.4。死者は合計で5,000人以上、余震が9年間続く。
- 1944年12月7日 昭和東南海地震:M7.9、静岡・愛知・三重などで合わせて死・不明1223、住家全壊17599、半壊36520、流失3129。津波のため尾鷲が壊滅した。このほか、長野県諏訪盆地でも住家全壊12などの被害があった。津波が各地に来襲し、波高は熊野灘沿岸で6~8m、遠州灘沿岸で1~2m。紀伊半島東岸で30~40cm地盤が沈下した。最大波高は尾鷲市賀田地区で記録された9m。戦時中のため詳細不明。ニューヨークタイムズは「地球が6時間にわたって揺れ、世界中の観測所が、「破壊的」と表現した」と、大々的に報じた。
- 1946年12月21日 昭和南海地震:M8.0、被害は中部以西の日本各地にわたり、死1330、家屋全壊11591、半壊23487、流失1451、焼失2598。津波が静岡県より九州にいたる海岸に来襲し、高知・三重・徳島沿岸で4~6mに達した。室戸・紀伊半島は南上がりの傾動を示し、室戸で1.27m、潮岬で0.7m上昇、須崎・甲浦で約1m沈下。高知付近で田園15km2が海面下に没した。
発生した場合の被害予想[]
(最も被害が大きいと考えられている早朝5時に発生した場合・中央防災会議資料による)
- 建物全壊棟数・・・約51万3000~56万8600棟(阪神・淡路大震災 約24万9000棟)
- 死者数・・・約2万2000~2万8300人(同 6432人)
- 経済被害・・・約53~81兆円(同 約13兆円)
静岡県、愛知県などで最大震度7を観測すると思われる。 豊橋市、浜松市などで震度7、名古屋市、四日市市で震度6強~6弱を観測するなど、都市部でも非常に強いゆれを観測する。また、北は茨城県、南は鹿児島県まで、広い範囲で津波が観測され、愛知県、静岡県には平均して4~5m、高知県など四国太平洋側には平均して10~12m、最大で30m近い波が観測される(10階建てのビルに相当する高さである)。
日本近海における類似の連動型地震[]
日本周辺の海溝では、このほかにも連動型の巨大地震の発生が推定されている。
大阪市立大学大学院理学研究科の原口強准教授によると、869年の貞観三陸地震は、福島県、宮城県沿岸で従来発見されていた津波堆積物が岩手県沿岸でも新しい痕跡が発見されたことにより岩手県沖~福島県沖(茨城県沖)の震源域をもつ連動型巨大地震と推定した[4]。
名古屋大学大学院環境学研究科の古本宗充教授によると、御前崎(静岡県)、室戸岬(高知県)、喜界島(鹿児島県)の3つの海岸にある通常とは異なった隆起地形に着目し、東海・東南海・南海から奄美群島沖の南西諸島海溝までの広範囲で同時発生する、M9クラスの超巨大地震(全長約1000キロの震源域)の可能性がある論文を発表している(Newton別冊 連動して発生する巨大地震〔2008/01/15発売〕、またはニュートン2007年10月号バックナンバー)。これは2004年のスマトラ島沖地震に匹敵する規模である。
東京大学地震研究所地震火山災害部門の都司嘉宣准教授によると、津波の復元から887年の仁和地震をスマトラ沖地震(2004年)と同様の M9クラスの超巨大地震と推定している[5]。
参考文献[]
- 防災システム研究所 東海道、南海道の地震
- 地震予知連絡会会報 東海から琉球にかけての超巨大地震の可能性 (PDF){{|date=2011年1月}}
- 沖縄タイムス 「スロー地震」世界初確認/琉球海溝で琉大など/「巨大型」発生の可能性[リンク切れ]
脚注[]
- ↑ “防災の日:初の「3連動地震」想定で訓練” (日本語). 毎日新聞.(2010年9月1日) 2010年9月1日閲覧。
- ↑ 2004年インドネシア・スマトラ島西方沖地震津波の教訓東京大学地震研究所
- ↑ 南海トラフ巨大地震-その破壊の様態とシリーズについての新たな考え- (PDF)東京大学地震研究所
- ↑ 日本応用地質学会、2007年10月
- ↑ 津波の数値復元に基づく,漸深海底における津波堆積物形成の検討 (PDF)日本地球惑星科学連合