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男体山
ファイル:Mount nantai and lake chuzenji.jpg
男体山と中禅寺湖
標高 2,486m
所在地 栃木県日光市
位置 北緯36度45分54秒
東経139度29分27秒
山系 日光連山
種類 成層火山
初登頂 782年(天応2年)
男体山の位置

男体山(なんたいさん)は栃木県日光市にある標高2,486mの火山。山体は日光国立公園に属す。日本百名山のひとつ。

特徴[]

日光市街地からいろは坂を登った、中禅寺湖の北岸に位置する。関東地方有数の高山であり、成層火山らしい円錐形の大きな山体は関東一円からよく望まれる。古くから山岳信仰の対象として知られ、山頂には日光二荒山神社の奥宮がある。また、一等三角点「男体山」(標高2,484.2m)が設置されている。

従来、最後の噴火は約14,000年前だとされていたが、山頂の噴出物の調査により約7,000年前の噴火が正式に確認され、活火山に分類される可能性が出てきている[1]。中禅寺湖、戦場ヶ原、小田代原は、この約7,000年前の男体山噴火により湯川が堰き止められてできたもので、流出口には日本三大瀑布として知られる華厳滝竜頭滝などがある。

日光連山を代表する山[]

男体山は、円錐形の大きな山容を有して裾野が広く、栃木県はもちろん群馬県埼玉県の平地部、特に空気の澄んだ日には南関東からも独立峰のような堂々とした姿が臨まれ、また山麓部にあたる日光市街や中禅寺湖畔、また戦場ヶ原奥日光の山々からも容易に見ることが出来、同じ日光表連山女峰山大真名子山小真名子山等と並び、日光連山を代表する山となっている。

明治時代新政府によって書かれた下野國誌にも、『黒髮山(クロカミヤマ) 都賀郡日光山の奧にあり、當國第一の高山にて、遙に武藏下總常陸等の國々よりもみゆるなり、世俗は男體山とも呼なり』とあり、男体山が当時から栃木県内第一の山で、現在の埼玉県、東京都、茨城県からも見えたと認識されていたことが分かる。

同じ日光連山を代表する山として日光白根山があり、関東地方以北の最高峰として広く知られている名山ではあるが、その位置が地理的に奥まっており、関東地方平地部と日光白根山の間に所在する2,000m超級の日光表連山および奥日光の山塊によって遮られるため、関東地方からは日光連山の稜線上に山頂部が僅かに見えるのみで、それが関東以北の最高峰だと気付くのは難しいほどである。さらに、日光白根山は山裾に近い戦場ヶ原からでさえ、手前に在る外山白根隠山に目隠しされ、山の全容を臨むことが非常に難しくなっている。

山名[]

男体山という山名は、東北側の山続きの女峰山との対で付けられたものと考えられる。男女一対の山には、雄岳と雌岳を有する奈良の二上山、男体山と女体山が並立する筑波山など多くの例があるが、男体山と女峰山は、間に大真名子山小真名子山という二つの「愛子(まなご)」を抱え、また男体山の北西側には太郎山を擁し、火山一家を成しているところが特徴的である。

初登頂[]

男体山の初登頂は782(天応2)年に僧勝道上人によって成し遂げられた。この登山については僧空海の記した『性霊集』に詳細が述べられている。この時期の初登頂記録としては最も実証性があるものといわれる。

勝道は、「われもし山頂にいたらざれば、菩提にいたらず」、つまり山頂に達することが自分の悟りを開くと考え、前人未到の男体山への登頂を志した。また、釈迦が雪山で苦行をしたという前例から、あえて残雪期の登山を選んだ。勝道の登頂初挑戦は767(神護景雲1)年4月上旬であったが、嵐にあって撤退を余儀なくされた。2回目は781(天応1)年4月上旬、またしても悪天候により失敗した。そして翌年782(天応2)年3月、48歳の勝道は今回こそはと意を決し、中禅寺湖畔で経を読むこと7日間、頂上へ踏み出した。湖畔から山頂まで1,200mの急坂、木々を掻き分け、残雪を踏み、途中2泊の野営を重ね、ついにその宿願を果たした。

登山[]

ファイル:Nikko Futarasan Chugushi Shrine Tohaimon gate.jpg

登山口となっている日光二荒山神社中宮祠の登拝門。鳥居とその奥にある朱塗りの登拝門を潜った先には、山頂へと向かう階段が続いている。

中宮祠(日光二荒山神社)(栃木県日光市中宮祠2484)などから、登山することができる[2]。登りが4時間、下りが3時間。中宮祠までは、東武日光駅から東武バスが出ている。バスの所要時間は53分。中宮祠の場所は、日光二荒山神社本社とは異なる場所にある。

中宮祠と男体山頂上の間には、1合目に遙拝所、4合目に石鳥居、8合目に滝尾神社、山頂に日光二荒山神社奥宮と太郎山神社、および二荒山大神像がある。3合目と4合目の間は30分ほど車道を歩く。

男体おろし、二荒おろし[]

冬、栃木県平地部に吹く冷たい乾燥した北風を男体山(別称・二荒山)の文字を取り「二荒おろし」あるいは「男体おろし」と呼ぶ。江戸時代末期に編纂された橘守部家集に「下毛(しもつけ)や 二荒嶺(ふたらね)おろし 小夜更けて 月影すごき 那須の篠原」とあるのが記録上の初出である。

伝承[]

  • 植田孟縉の著書『日光山志』に、男体山や女体山の高峰から鉄製の銚子状のものが飛来する「飛銚子」(とびちょうし)と呼ばれる怪異が述べられている。山の修行者がよく見かけたといわれ、山鬼が玩具にしていた物ともいう[1]

その他[]

  • かつてこの山の標高は2,484mと言われていたが、調査の結果、三角点から南西に約11.2mに位置する岩場が2,486mの最高標高地点であるとされた[2]。男体山は栃木県民の歌にも登場する、栃木県を代表する山であり、県民は男体山の標高を栃木県の西の端にあることから、標高を2484(にしっぱし)と呼んで覚えていた。

関連画像[]

脚注[]

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  1. 千葉幹夫 『全国妖怪事典』 小学館、1995年、54頁。
  2. 「男体山の最高標高値が変わります」 国土地理院

関連項目[]

ウィキメディア・コモンズ
  • 日本百名山

外部リンク[]



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