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1978年宮城県沖地震
本震
発生日 1978年6月12日
発生時刻 17:14:44 (JST)
震央 日本の旗 日本 宮城県
震源の深さ 13km
規模    マグニチュード(M) 7.4
最大震度    震度5:宮城県仙台市石巻市岩手県大船渡市福島県福島市山形県新庄市
津波 仙台港等で最大30センチ
被害
死傷者数 死者28名
負傷者1万名余り

1978年宮城県沖地震(1978ねんみやぎけんおきじしん)は、複数回起きた宮城県沖地震の一つで、1978年6月12日の17時14分44秒に発生したマグニチュード7.4の地震。

被害[]

  • 死者28名(ブロック塀などの下敷き18名)
  • 負傷者1万名余り
  • 建物の全半壊7400戸
  • 停電70万戸
  • 断水7000戸

都市ガス仙台市ガス局・塩釜ガス・石巻ガス・古川ガス)が13万戸で供給停止となり、老朽化または手抜き工事だったブロック塀の倒壊、1960年代に造成された新興住宅地(緑ヶ丘など)の地盤崩壊、水田地帯を開発した卸町地区では液状化現象が発生しビルの倒壊や傾斜が見られるなど、宮城県内(特に仙台市)を中心に大きな被害が生じた。

仙台市内(旧宮城町泉市秋保町(現青葉区泉区太白区)の区域を含む)の住家の被害は全半壊が4385戸、部分壊が8万6010戸に上る。

仙台市では電気、水道、固定電話は8日目までにほぼ復旧を見たもののガスの復旧率が99%を超えたのは地震発生後27日目であった。

交通では、国鉄が全面運休となり運行再開に1週間程度かかっている。仙台市営バス宮城交通バスは地震発生直後に運行を再開していたが、停電により交通信号が機能しなくなったため、警察官による手信号が行われていたが、夕方の帰宅ラッシュとも重なり交通渋滞が激しくなり、道路交通は深夜まで麻痺状態だった。

この地震では、ライフライン等が停止し都市生活が麻痺した。これは、50万人以上の大都市(当時旧仙台市は人口およそ65万人)が経験した初めての都市型地震災害であるとも言われている。また、家屋倒壊被害が甚大であったために1981年に改正建築基準法が施行され、この地震以降の建物は耐震強化などがなされた。

6月12日は宮城県では「県民防災の日」とされ、地震に備えた防災訓練がなされる。 また、東北放送ラジオでは、毎日夕方17時14分になると「1978年6月12日、宮城県沖地震が発生した時間」であることが冒頭でアナウンスされる地震防災番組が放送されている。

なお、この地震の最大震度は仙台市などで観測した震度5である。 東京でも震度4を記録した。

マスコミ等の反応[]

東北放送NHK仙台放送局はラジオで特別番組を編成し、安否情報を放送した。

関連項目[]

  • 三陸南地震(2003年5月に発生した宮城県沖の地震)
  • 宮城県北部地震(2003年7月に発生した宮城県連続地震)
  • 岩手・宮城内陸地震(2008年6月に発生した宮城県および岩手県の地震)
  • 石巻ハリストス正教会 - 旧会堂がこの地震によって被災したが、修理・移築された後、石巻市の文化財として保護されている。現存する日本最古の木造教会建築。
  • 青葉城恋唄 - 地震直前にリリースされ、復興応援ソングとしての追い風も受け大ヒットし、仙台を象徴するご当地ソングとなった。

テンプレート:日本近代地震